metroseoul

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人生の岐路というのがあります。伸るか反るかで以後の人生が大きく変わる人生における分岐点。僕にとって韓国留学から帰国したその直後がいくつかある分岐点の一つ。人前でお話をさせてもらう機会が増えた今、改めて自分の人生の軌跡を振り返った時にある一つの場面が浮かび、この街を再び訪れました。武蔵新城という街に。
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上京してすぐにお金を使い果たした”G5”は1、家を貸してくれる2、前借りができる3、すぐ働ける条件で仕事を探し見つかったのがパチンコ屋さんと新聞配達でした。「同じ道なら辛い方を選びなさい」という祖母の教えを馬鹿正直に洗濯して新聞配達の門を叩き3日で後悔。日々泣きながら配っていたことを覚えています。上記の写真は配達担当区域の序盤に訪れる交番。この交番の人に「いろんな新聞配達が配りに来たけど君は何か違うな。何かが」と言われたことを思い出しました。その横の道が一方通行なんですが常にここを逆走して配らないと非常に効率が悪いためた何回か捕まったこともありました。
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日々疲れがたまりながらも少しずつ仕事のコツを覚えて新聞配達自体楽しくなっていきました。しかし睡眠不足などから苛立っていた時に写真左の交差点でヤクザのおっちゃんと口論になったことを思い出しました。数分の言葉の応酬ののち、なぜか和解笑。飲みに行こうと誘われましたが丁重にお断りさせてもらいましたけど。人と人とは心の対話が大切なんだと気がつかせてくれました。真ん中の写真はレンガ敷きの商店街。このストリートは他の下町感と違って少しオシャレな空気が流れています。新聞を配るときもここを配るときは少し気分が違った気がします。そしてこの街のお客さんとはなぜかすごく仲良くなってよく家に飲みに誘ってもらったことを覚えています。右の写真は担当地域で最初に配る家たち。家というかお店。いきなり投かん場所がポストではなくシャッターをこじ開けて下から入れるっていうイレギュラーな仕様だったため初めて配ったとき面食らった思い出があります。
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そして、勤めていた新聞屋さん。既に失くなってアパートになっていました。グーグルではまだ写真に残っています。でもその写真でも取り壊しの作業前の写真でした。懐かしい。よくこの前にたむろってバカな話ばかりしていました。数台のバイクが空母の戦闘機のように(格好良く言いすぎると)離発着をする甲板のような雰囲気。全て過去のものとなったんですね。数年前に来たときはまだあったからそれから無くなったんだなぁと思うと感慨深い。社会人としての最初を色々教えてくれた場所がなくなるともうすでに残されるのは人々の持つ記憶だけ。記憶は曖昧なもので正確な歴史は薄れていくんだろうなって思います。棚の大きさとか、役立たずの折り込み広告の折り込みマシンの形とか。ふと思い出すのはお店の電話で誰かがダイヤルQ2(懐かしすぎる)をかけまくったらしくお店に20万くらいお店に請求来て社長が激怒してたこと笑。そんな事も風化していくんだろうな。
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そしてこの日いくきっかけになったのが左のお家。ある日夜20時過ぎぐらいに集金に行くと、おばちゃんが出て来て「ちょっと待ってて」と言い奥に引っ込むと一個のあんぱんを持って来てくれて「いつもご苦労さん」と渡してくれました。留学から帰りアパレルに進むのを夢見て上京したにも関わらず新聞配達をせざるを得ない状況になり「自分はこんなもんじゃない」ではなくて「自分はこんなもんだ。じゃここから始めよう」と決めた新聞配達員時代。なんでもいいからこのお店で1番になったら辞めよう。それまでは一つ一つを一生懸命全力でやろうと決め配るスピードや営業成績など少しずつ勉強し伸ばしていったここでの日々。しかし心のどこかでは「これでいいのだろうか?」という疑念もなかったわけではなかった。そんなある日に施されたひとつの優しさ。いただいた瞬間に胸が痛くなり。愛想もないお礼を言った後先に見える駐車場のフェンスにバイクに乗ったまま寄りかかり、泣きながら食べたことを思い出します。見知らぬ他人の施しがあまりにも嬉しく、勇気付けられ、有り難く感じました。中央の写真はたまに行ったバー。右は送別会を開いてくれた居酒屋。なんでも一番になろうと思ってやってきて送別会の時に全従業員が集まってくれたのは店が始まって初のことだったと言います。最初は右も左もわからず社会経験もない失敗だらけの若僧を優しく見守ってくれた仲間。ずっとペナルティの折り込み広告の時にみんなのことを笑わせようとずっとバカな話ばかりして笑わせてました。僕はその行為自体好きだったしみんなが単純作業の間つかの間忘れて楽しく仕事できたらいいと思ってやったことが実はみんなの中に居場所を作っていたのかもしれません。誰かのために何かするっていうのは結果的に自分に返ってくる。そして、何よりもつまらない作業をいかに楽しくするのかっていうスキルが身についた。本当にありがたい体験でした。このお店を辞める時、心の中では楽しすぎて新聞配達員でも家を買って家族を養っている人もいたので「ここでもいいかな」って思ったことが辞めるきっかけだったと思い出します。雨の日も風の日も午前3時から全力疾走で5時半〜6時くらいの間で配り終える。配りを得た後店の前の道から見える朝日はあまりにも美しく、自分自身がこの地球という星の上で間違いなくいきている実感を感じてました。その時は朝日を見て感動で泣けていた自分がいた。ずっとその時から「自分はその時と比べていまど真剣か?」と問い続けています。仕事に大小や高低なんてものはない。どれだけ志を持って丁寧にど真剣に思いを込めているか。たったそれだけの事。というのを今でも戒めとして刻んでいる人生の分岐点。本当にありがたい土地です。

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